
明石の湧き水として有名な「亀の水」です。天文科学館のすぐ西にあります。たまに行きますが、大きめのポリタンクをかかえた人などが並んでる事がありますので、並ぶのが嫌いな私はそんなとき横の石段を登ってキノコや虫を探して時間を潰してから再度行ったりしてます。それでも並んでたら諦めて帰ります。
国立神戸大学発達科学部附属明石小学校の東を通る道から、亀の水まで細い道があります。その向こうには天文科学館の塔がそびえ立ってます。
周りはコンクリートで囲まれてます。亀の石像は柵で被われてます。手水鉢には「常陸国 飯塚氏 宣政」と彫られてます。1719年に常陸(茨城県)の目明かし飯塚宣政が寄進してます。この人の名前でぐぐってみると、見事に亀の水の件で出てきます。そろそろ300年がたつ今でも亀の水を受けています。
中に入って撮影。柵にひしゃくが引っかけてあります。手を洗う時は、アルミ製(?)の樋を亀の口の下において水を手水鉢の外に出し、そこで洗ってます。この樋はそういう使い方をするためのものだと思ってますけど、合ってますよね?
横にある石碑と標柱。左手には石段があり、登っていくと月照寺や柿本神社に出ます。写真左に灯篭がありますが、ここに「正一位柿本大明神」と彫られてます。……よく見ると JIS X 0208 の「柿」じゃない方の「かき」の漢字みたい。
亀の水から離れて石段を登りますと、石垣というか石柱が両脇に並んで建ってます。人名やらなんやら彫られているので、少しですが撮影してみました。この柱には「京都 堀江増藏」とあります。上の記号は曲げ尺と桝でしょうか?
椿の花びらと落ち葉の中に建つ石柱には「大阪堀江 遊廓中」の文字。落ち葉の中にはキセルガイやらキノコやら生き物が結構いますので探してみると面白いですよ。虫が嫌いな人は探さないほうがいいかもしれませんが。
これは石段の一番最初の石柱だったと思います。「清國陸義 明石藤原ヨシ」の文字が見えます。清国ということで1616年から1912年の間ですか。間が開きすぎですが陸義さんがどんな方か判らないのでそれ以上は何とも。明石とどんな関係があったんですかね。
他にも「明石樽屋町 高木作平」と彫られた柱等があります。
道はいくつかに分かれているんですが、その内の一つを登り切ると月照寺に出ます。この辺は台地の端にあたってて、人丸山とか言われているところです。明石城が建つ台地は赤松山ですが、人丸山と書かれる場合もあるようです。人丸塚があるからかな? と適当なことを書いてみる。
崖から桜が生えてます。明石公園の剛ノ池沿いに桜は本数も多く有名ですが、月照寺や隣の柿本神社とセットで見るここの桜もまた別の味わいが合って綺麗だと思います。
少し東にいくと天文科学館の裏をとおり、日時計とか置いてる場所に出ます。ここからは明石海峡大橋を一望できます。ちなみに「明石大橋」というのは明石川に架かる国道2号線の橋の事ですので、あまり略して書かないように……。写真右にお椀の縁みたいなのが見えますが、天文科学館のプラネタリウムのドームです。
しかしあの橋、上を通る車と比較すると、主塔の間が2km近くあるようには見えなかったりするんです。たぶん実際に通ると、長いってのを実感できるかもしれませんが。でも2つの意味で高いからたぶん通ることはないかもです。通行量が高いのと(2003年7月から垂水JCTと淡路SA間で普通車2300円)、水面から高い(100m近い)ってのは、貧乏で高所恐怖症の私にはかなりキツいのでした。
2003年4月26日撮影。柿本神社の境内にある「播州明石浦柿本大夫祠堂碑銘」、通称「亀の碑」。亀グッズを集めてる姉が大喜びしそうと身内ネタをかましてみる。同じ姉が全国に数万人居ると思いますが。碑の内容は柿本人麻呂の伝記だそうです。
建てられたのは1664年。碑の最後には「明石城主松平日向守源信之立」と彫られてます。松平信之ですね。1679年に大和郡山に転封。1681年に現在の奈良県葛城市(旧新庄町)の柿本神社に柿本人麻呂の石碑を建てています。1685年には江戸幕府の老中になってますが翌年死去。死を悼み、明石藩内にもいくつか供養塔が建てられています。
なぜ「亀の水」になったかについては、『新明石の史跡』によると以下のようではないか、との事です。
ということで手水鉢が置かれる35年前に、上にある柿本神社に亀の碑がたってます。そこから亀の名がつけられたのだろうと書かれてます。とすると、柿本神社の碑の台座に亀を選んだのはなぜなんでしょうね。台地を支える亀とかいう宇宙観があったのはどこだったか忘れましたが、土台とか台座としてのシンボル的な意味でもあるんでしょうか……、とまた適当なことを書き散らして終了。