
明石川の河口、西側にある船上城跡です。「ふながみ」と書いて「ふなげ」と読みます。写真中央の木が生えているところが本丸跡……、だったかな?
後ろの茶色い建物は明石警察署です。以前実家の犬が行方不明になった時に来たことがありますが、対応はごく普通でした。保健所の対応はガソリン満載のタンクローラーで今すぐ突っ込みに行かねば! と思わせるものでしたよ。たまたまモノの言い方を知らないおやじに当たってしまっただけかもしれませんが。
室町時代に播磨の赤松氏が元を築いたらしいです。『明石市史 上巻』巻末の年表には、1441年に明石の船上山を城郭に構えた(続太平記巻12)
とあります。この年、赤松満祐は将軍足利義教を殺害してます。
キリシタン大名で有名な高山右近等の居城になった後、江戸幕府発足後1617年に小笠原忠真が入城。その後、台地の突端である赤松山に明石城を城築したさいに船上城は解体。『明石市史 上巻』巻末の年表によると1619年1月19日(たぶん太陰暦でしょう)、船上城が焼失(播州明石記録)
とあります。
明石城の東側にある巽櫓は船上城から移築と伝えられてます。あと現在明石公園と道を挟んで南にある織田家長屋門も、船上城下からの移築らしいです。
撮影した日から公開まで1年9ヶ月以上たってます……。
西のほうから見たところ。周りは田んぼや畑なんですが、なんだか意味ありげな段差があります。昔何かあったんじゃないかと思わせるような地形といいますか。
北から南へと流れる川。堀の跡ですかね? と適当なこと書いてみる。
この川は所々直角に曲がるところがあります。工場建設など最近の開発で川筋を変えたのかなと思ったけど、1947年ごろの地図を見るかぎりは今と余り変わってないみたい。律令時代の条理の名残だったりして。
木がこんもりと茂っているところに近づいてみます。塚のようになってます。
中には鳥居と祠がありました。「正一位古城御大神」です。よくわからなくても物凄そうという感じです。まわりは木が生え放題だけど、この額は綺麗ですね。
鳥居の奥に祠。お稲荷さんみたい。
祠の足元にあった丸い石。なんでしょうこれは。
祠の中には「船上城址」と彫られた石柱があるらしいんですが、なぜかそれを撮影せずに丸い石を撮影してます。どこがそんなに気になったのか、もう昔の事なので全く覚えていません。写真を撮ったら文章はすぐ書いたほうがいいですね……。
城というと他には魚住城とか神戸市西区の枝吉城なんてのがあったそうです。室町から戦国時代頃の、実用的な城だったようで。