
神戸市西区にある王塚古墳です。南、「前方」側から見たところです。小さな古墳だと近所の人も知らない事が多いようですが、この古墳は大きいし周りが公園になっているので、近所の人は誰でも知っていると思います。
ところでこの古墳の大きさ、資料によって結構違ってたりします。
『中尾のすがた むかし・いま』では、『吉田南遺跡周辺の遺跡』(神戸市吉田片山遺跡調査団 1980)が出典のようです。どれが正しいんでしょう……。100m前後の数字は堀なども含めた数字で、70m弱のものは前方後円の盛り土の部分のみの数字ってところでしょうか?
団地の道から見たところ。森ですね。
「前方」側のフェンスは門のようになってます。こちらに注意書があります。この右手には碑がたってますが、この日は碑の近くに小型のクレーン車がいて伐採作業をしてたので近寄るのは止めにしました。
宮内庁の立て札。いつか調査が行われて誰が葬られているのか、中に何かあるのか等判る日が来るんでしょうか。
「前方」から右側へ回っているところ。東側です。縁のカーブが綺麗です。
堀、というか濠ですが、昭和47年(1972年)発行の『明石こそわがふるさと』によると、干上がっていたそうです。それ以前はずっとそうだったんでしょうか。当時のモノクロ写真が載ってますが、周りは田んぼだらけです。現状からは想像もつかないくらい。
水の中にはスイレンっぽい葉が。他の場所ではあまり見かけませんでした。夏になるともっといろんなのが生えているのかもしれません。生えていないかもしれませんけど。
後円部。ここに公園の入り口があります。「王塚公園」と書かれてますが、昭和47年(1972年)発行の『明石こそわがふるさと』によると丸山公園という名称だったそうです。
後円部から北を眺めたところ。写真右のフェンスは王塚台中学校のもの。奥のほう、写真両端に判りにくいですが山が見えます。左が雌岡山(めっこうさん)、右が雄岡山(おっこうさん)。建築物がなければ、かなり見晴らしが良さそうなところです。
後円部から前方部へと回っているところ。古墳の西側です。
「マムシ注意」の看板。古墳の森の中にでも住んでいるんでしょうか。
2004年12月11日撮影。地図サイトを見てると、王塚古墳の少し北側に「幣塚公園」という名前の公園を発見。調べてみると王塚古墳には陪塚と考えられる3基あったそうです。神戸市文書館のではそれらは消滅
と書かれてますが、『新明石の史跡』では庚申塚(消滅)・経塚・幣塚
とあります。吉田郷土館では経塚(曙町)幣塚(王塚台四丁目)で王塚古墳群形成
とあります。この公園に何かありそうだと思い、行って撮影したのがこの写真。公園内にフェンスで囲まれた塚がありました。
宮内庁の立て札。「玉津陵墓参考地陪塚(土偏がないけど)い号」と書かれてます。これが幣塚でした。他は「ろ号」と「は号」になってたんでしょうか。なおこの古墳は周囲を巡って歩くことができます。後ろはちょっとキツいけど。
『明石こそわがふるさと』では、ほかに丸い形をした円墳が三基あり、いずれも戦前に皇室のお墓として指定されてます
と書かれてます。たしかにここの幣塚は宮内庁の立て札があるけど、ほかの2基はどうなったんでしょう。少なくとも1基は消滅とありますが、陵墓参考地の陪塚でも壊されたりするものなんでしょうか。
公園の端から撮影。すべり台の向こうにはブランコがあり、小学生くらいの女の子が数人遊んでました。変質者扱いされないよう、そちらのほうを一切向かないようにして早々に幣塚を撮影して立ち去りました。こんな事に気を使うのは嫌だなあああ。
残る(?)もう一つの経塚ですが、吉田郷土館では曙町と書かれています。王塚から東へ行ったところにありますが、リハビリセンターや視力障害センターなどの施設が大部分を占めているようでした。特に公園らしきところはなかったようですが、経塚は施設内に残されているんでしょうか?
王塚古墳の少し南にある団地内にあった盛り土。これは古墳とは関係のない、団地造成の名残か何かで単に盛りあがったところのようです。
王塚公園、幣塚公園共に駐車場はなかったです。行くなら自転車がベストでしょうか。JR西明石駅からだと徒歩で30分くらいかも。