
写真は県営住宅金ヶ崎団地です。昔この辺りに文五郎塚古墳というのがあったそうです。
明治39年(1906年)8月23日に地均しした際に遺物や石材が出土。そして昭和42年(1967年)に県営住宅金ヶ崎団地の造成工事で消滅しています。『新明石の史跡』では明治27、8年(1894、5年)頃に整地され、原型を崩したとの話が書かれています。
西国街道沿いにある金ヶ崎神社の鳥居。この奥に金ヶ崎神社があります。
金ヶ崎神社。木々の後ろに建つのが金ヶ崎団地。
古墳があったことを示す説明板のようなものは……、探すのを忘れてたのであるのかどうか知りません。またそのうち探しに行こう……。でもここ急な坂道で自転車だとキツいです。
金ヶ崎団地からさらに上に行くと、石垣の上に金網で囲まれたところがありました。
『明石史資料(考古編)第4集』に以下のような文があります。
現在、金ヶ崎住宅の西側に隣接している住宅地内の一角に、フェンスで囲まれた旧地形が保存されており、「文五郎塚」であると言われているが、黒田の撮影した写真や旧地形などから判断して、その地点が「文五郎塚」でないのは明らかである。
ここがたぶんそうだろうと思い、階段を上ってみました。フェンスの扉が全開になってます。いいのか?
中を覗いたところ。木が数本生えており、奥に祠のようなものが見えました。一番右にみえるのは県住金ヶ崎団地の給水塔です。
下界の眺めはというと、近くの家の屋根がなかったら非常に良さそうって感じ。近くに家の屋根があったり窓があったりするので、あまり長居すると覗きとか変質者扱いされかねないので、早々に立ち去りました。
『新明石の史跡』には、この場所の写真が団地内の一区画に残されている古墳
と書かれて載っています。
また昭和35年(1960年)発行の『明石市史 上巻』には「文五郎塚」として、松らしき木が生えており下草がほとんどない一角の写真が載っています。かなり古そうな写真ですが、もしかしてこれが黒田さんが写したという写真なのかなぁと思ってみたり。その写真の場所とここと一致するかどうかは……、ちょっと判りません。
ちなみにこの場所には「あぶない 危険」という注意書の板はありましたが、史跡の説明板のようなものは見かけませんでした。
国道2号線金ヶ崎交差点を南に少し行ったところから、金ヶ崎の丘陵を撮影。右のほうに金ヶ崎団地の給水塔がありますがこの画像では見えにくいかもです。ちなみにこの丘陵が明石市内で一番高いところだとか。隣の神戸には931mの六甲山、加古川には304mの高御位山がありますが、明石市には山といえる山がなかったりします。この金ヶ崎も印南野台地の突端にすぎないんだったかな……?