
明石市市営魚住住宅の西側に残ってたそうですが、1958年の工事で破壊されたそうです。『明石史資料(考古編)第4集』の位置図は、魚住駅から国道2号線に伸びる道すらない頃のものですが、地形から現在の場所をある程度把握することができます。
魚住駅から線路沿いに明石方面に伸びる道があります。上り坂になってますが、その北側の丘の上にいきました。写真の中央やや左あたりに古墳があったのではないかなと思います。
ここにも説明板の類いは見つかりませんでした。
JR魚住駅と国道2号線を結ぶ道から撮影。右に魚住駅があります。丘とは2階建の建物の屋上くらいの高度差があります。
丘の南側を撮影。左に魚住駅があります。
JR魚住駅近くにも横穴式石室があったとの話が伝えられていると『明石史資料(考古編)第4集』に書かれています。仮に魚住駅ができたことで石室が破壊されていたとすると、JR魚住駅が開業したのが1961年10月1日なので、1961年頃消滅ということになります。鉄道の敷設で破壊されたとすると、1888年12月23日に明石−姫路間が山陽鉄道によって開通してますので、1888年以前に消滅ということになります。ちなみにこの山陽鉄道は1906年に国有化されたもので、現在の山陽鉄道ではありません。
しかしこの国道2号線へ伸びる道、4車線の道路ですが、両端1車線ずつは路上駐車の車が多く、実質的に中央のみの2車線道路と化してました。この西側にある道も路上駐車が多く、個人的に通りたくない道の一つです。
中尾新田古墳跡の北には鴨谷池があります。この池も鴨谷池古窯址群という、古墳時代の窯の跡があったそうです。江戸時代に三本の谷をせき止めてつくられた池で、三本の指をもった恐竜の足跡のような形でしたが、三本の谷の部分は埋められて宅地化されました。
国土情報ウェブマッピングシステムの昭和49年度の写真では中央右に鴨谷池が写っています。
池の南(東だったかな?)に祠がありました。厳重に囲まれてます。池の神さんですか? 周りは駐輪場になってました。