
JR土山駅から北側に歩くと国道2号線に出ます。東南方向、明石側へと歩いて清水交差点を越えると、最初に大きな池(皿池)があり、続いて細い堤で半分にされている池(稗沢池)が見えてきます。堤は国道2号線と平行になってるので分割されてるとは気づきにくいかもしれません。
堤の端に丸い小山がありますが、それが古墳だったのでした。また、池を横断している堤は、古代山陽道(江戸時代の西国街道よりさらに昔)の名残だそうです。
稗沢池の東、国道2号線の歩道から撮影。木が茂っている小山が見えます。
さらに近づいてみる。池を横断している堤はコンクリートで固められているようです。
堤の東端から北西をみたところ。ちなみに明石と西明石の間くらいから加古川あたりまでの鉄道や国道2号線、250号線(明姫幹線)は、南東から北西へと伸びてます。
古墳は堤に接しています。この先は古代山陽道にあった賀古駅家(かこのうまや)に続いているそうですが、当時の道そのものは残っておらず、市や町、字などの境界線や空き地等の形で残ってるそうです。賀古駅家は加古川の喜久屋書店やケーズデンキと国道2号線を挟んで向かいにある駅家池(うまやがいけ)の周辺にあったそうです。
小さな階段がありました。登ってみたけど高さがないので見晴らしが特にいいわけではありません。昔、古代山陽道を歩いてた人はこの丘で寝そべったりしたのかなぁとか想像してしまいます。
西側から撮影。周囲は石で固められています。平成元年(1989年)発行の『中尾のすがた むかし・いま』には池の水が干あがった後の稗沢池古墳の写真がありますが、葺石はありません。写真自体がいつのものか判りませんが、周囲を石で固められたのは最近の話なのかもしれません。
右側に魚住浄水場の配水塔が見えます。この塔の向こう側に幣塚古墳があります。両古墳は直線距離で800mほど離れています。
池の南から撮影。池にポツンと残っているのがなんか絵になるなぁと思います。
以下3枚は2005年4月1日撮影。池の水が引いており、基部がよく見えました。
東側から撮影。
2005年10月20日撮影。水面に浮かぶ丸い葉はオニバスです。特に南側の池に多く、直径1m以上の葉(1.5m超と思われるものもありました)がいくつも水面に広がっていました。氷河期を生き抜いてきたオニバスと、千数百年前に造られ現存する古墳との2ショットというのは、何か不思議な感じがします。
堤には背の高い草が生い茂ってたので、古墳までは行きませんでした。
『明石市史資料(考古編)第4集』によると稗沢池の中に島状に残存しており
とあるので、国土情報ウェブマッピングシステムから昭和49年度の空中写真を見たところ、確かに堤の両端が切れて長い島のようになっていました。昭和55年度の撮影ではイマイチ判りにくいですが、昭和60年度の撮影では繋がっているのが判ります。